おもろい企業探索ツアー第18回は、『株式会社システムサーバー』。
このシリーズは名古屋工業大学に縁のある企業を訪問して、社長や役員、名工大卒業生に話を聞き、山じいの視点からその魅力に迫るという企画です。では前編をどうぞ。(過去の特集一覧はこちら)
秀美社長との出会い
今回紹介するシステムサーバーは、名古屋のど真ん中、伏見に本社のある140名規模のSIer(システムインテグレーター)で、1997年創業の会社だ。
創業者は今回の主役になる社長、鈴木秀美氏。
山じいよりチョコッと年上の素敵なおばさまだ。
これまで「おもろい企業探索ツアー」で17の企業を紹介してきたが、創業者が現役で社長をしている会社の取材は初めてだった。
秀美社長との出会いは、山じいがキャリアサポートオフィス長になった2008年ぐらいだったと思う。
オフィス長になりたての山じいが「企業研究セミナー」で各社さんをご挨拶に回っているとき、やけに元気でドスの利いた大きな声で学生に説明をしているおばちゃん(失礼)がいたんだ。
元気な人事さんだなあッと、挨拶をさせて頂いたら…ナ・ナ・なんと、お名刺に「代表取締役社長 鈴木秀美」って書いてあるやんか!!
合同説明会に社長自らご出馬とは。
後ろにいた人事(総務)の平野さんが、社長の勢いを少しオロオロしながら見つめつつ、微妙にバランスをとっていたのが印象的だった。
秀美社長の掲げる企業理念は「全員経営」。
当時は、「こういう元気いっぱいの暴走型(!?)社長にありがちな理念やな〜。独りよがりやないんかいなぁ??」なんて少し冷めた視線を送っていたことも確か。
まさかこの後、これだけ関係性が深くなり、企業理念に納得がいくとは思いもよらなかったけどね。
秀美社長の男勝りな(これセクハラ?)図太い声に気圧されつつも、「おもろい人やなぁ〜」という印象が強く残っていたので、出会った翌年には「キャリアデザイン」の授業に講師として登壇してもらった。
あの頃は、山じいの周りで目立っていたおもろい人事さんには、声をかけてよく授業を講師として手伝ってもらっていた。秀美社長もそのおひとりであった。
40年前はリケジョでも寿退社が当たり前だった
社長は八草にある工業大学の電気電子工学科のご出身で、在学当時は超マイノリティーな電気の女子大生だったそうだ。
そう、山じいの学生の頃も、電気電子工学にはほとんど女っ気なかったな…。
当時の理系女子は、技術者としてメーカーに入社しても、転勤のない一般職が普通。 仕事も男性技術者のお手伝いが主務であることが多く、大企業に入れば、「社内で将来有望なエリート技術者に見初められて、無事に結婚できたら寿退社」というのが当たり前だった。
かく言う山じいの鬼嫁も、もとは名工大の同級生。
当時、山じいの所属学科「繊維高分子工学科」には60名中6名の女子(?)が在籍していた。
山じいは、そん中の一人を射止めたんだ(エッヘン!!)。
うちのカーちゃんも、学部で卒業してすぐに大手有名紡績会社に技術者として就職したものの、3年ちょっとで寿退社!!
めでたく将来の名工大のキャリアサポートオフィス長婦人に収まったってわけさ…ってこの辺で止めておこう。
うちのカーちゃんもこのブログ読んでるので、しょうもないこと書いたら首絞められそうだからね。
山じいの同窓生で、30歳まで技術者でいた女性は一人かな…そんなことが普通だった。当時はそんな時代だったのよ。隔世の感だね……。
そんな時代に秀美社長は独立・起業
そんな中で、山じいよりも三つ年上の秀美社長は、大学卒業とともに当時では非常に珍しい物流系企業の「システム情報部」に入社された。
10年ほど頑張って働き、仕事を覚えて慣れてきた頃になると、企業の女性社員の扱いや、働き方に疑問を抱くようになったそうだ。
そんな時に、当時の上司に勇気づけられ、その人と一緒に独立。
秀美社長は自分の会社を立ち上げたいと思っていたらしいんだけど、経営のことなんか全く分からなくて、考えあぐねていたところを上司に誘ってもらったんだって。
そしてその会社で子育てをしながら10年間、経営について、そして中小企業の働き方について、じっくりと学んだそうだ。
そして、一人前のSIerになった頃、社長との経営理念の違いに戸惑いを覚えて…エイや!と今度は一人で独立して、この「株式会社システムサーバー」を立ち上げた。
このときは、前回よりも、随分納得して独立することができたんだって。
誰もがIT初心者の40年前は女性が活躍しやすかった(?!)
すごいよね秀美社長。ここで、うちのかあちゃんを引き合いに出すとまた怒られそうだけど…何が違うんだろうか?
ま、一番の違いはパーソナリティーの違いなんだろうけど…もう一つの大きな違いは、その技術者として在籍したメーカーの「業界・職種の違い」なんじゃないかと考えた。
当時、名工大の繊維高分子工学科では、大手ケミカルか、紡績会社に入るのがエリートの道であって、今でこそ羨望の的である、世界の自動車会社に入る奴は負け組だったんだ、世の中変わるもんだよ。
で、うちのかあちゃんは、その当時花形であった紡績会社に入社できたんだけど、そこは完全な男社会であり、女性は集団就職で出てきた工場の工員さんぐらいだった。
つまり、女性技術者は百戦錬磨の企業戦士のお手伝い役として働くことに決まっていたんだ。
それに比べて、秀美社長が在職したのは新興事業のIT部門だ。
今でこそ、ポケットに入るUSBメモリに数百GBのデータを収納できるが、その当時主流だった3.5インチフロッピーディスクの容量はたったの1MB……今のスマホの写真だと1枚も保存できないよ。
そんな時代だったから、誰もがITについてはまだ素人同然だったのさ。
だから、男女の差なく頑張った人がのし上がれる時代だったと、秀美社長は懐かしげに振り返っていた。
それでも、家庭を抱えて40代での起業は勇気が要ったんじゃないかな?
お子さんも三人抱えていたんだし。
「社是」の重要性にようやく気づく
で、秀美社長が最初に起業した会社で10年働いて感じたことは、「この会社は何を目指して、進んでいるのだろうか??」っていう疑問だった。
会社に理念を感じられなかったんだそうだ。
山じいはいろんな会社のHPを見るんだけど、社長が格好良い椅子に座って、社是やら経営理念を語り掛けている写真を見かける度に、「社是やら経営理念って、わざわざ人に見せびらかしたり、聞かせたりするものなのかなぁ?」って感じていた。
特に就活生には全く響かない(と思わないかい??)。
どこの会社の社是も同じようなもんだと思ってたんだけど、会社を興す人にとって理念はとても大事なものなんだと秀美社長の言葉で気付かされた。
秀美社長は「技術者のパラダイスを作る!」ために「全員経営」という理念を掲げられている。
社員が50名ぐらいまでなら全員と毎日挨拶ができ、「皆で会社を盛り上げていくぞ!!」っていう気持ちが持てるそうなんだけど、それが100名近くになると、突然顔が見えなくなるそうだ。
だからこそ、そこを理念において、意識してみんな会社を盛り上げようってことで、「全員経営」を掲げているんだってさ。「技術者のパラダイス」をみんなで目指そうってね。会社興すって、やっぱり大変なんだなあッと痛感しましたわ。
ま、だからどの会社にも社是やら、経営理念があるんだな。
これからはあまりディスらないようにしようっと。
秀美社長が一度目の起業で得た仕事が育ちシステムーサーバーは急成長
秀美社長は2番目の会社で培った経営ノウハウと、技術力、お客様からの信頼を引っ提げて2回目の起業をした。
ここまでシステムサーバーを大きくしたのには、秀美社長が前職から引き継いだ2つの大きな仕事がある。
某大手世界の自動車メーカーの「物流管理システム」と、中部地区のインフラを束ねる大手企業の「設備管理や送電管理システム」の構築である。
この2本の屋台骨は各社の傘下にある「一次請けIT子会社」や「メーカー系一次請けSIer」からの二次請け仕事ではあったものの、長年にわたってそのシステム構築をしており、ITシステムだけでなく物理システムまで携わっている。
もはやシステムサーバーなしでは、この両巨頭企業の物流管理や設備管理が成り立たないそうだよ。
ここまで来たら、システムサーバーはもう二次請けSIerじゃないよね。
一次請け会社から絶大な信頼を得られたことで、途中からはシステム設計全体を任せられるほどになった。だからここまで会社が大きくなったんだ。
「継承の準備」が会社の発展に繋がった
こんなシステムサーバーに変革が起きたのが15年前。
秀美社長の長男、生雄さんが就活に臨み、いろいろ考えた上で、システムサーバーを継ぐ決心をしてくれた時だったと秀美社長は懐かしんでいた。
中小企業において、事業継承問題はとても大きな問題となっている。
そう、後継者不足だよな。
我が国の400万社以上ある企業の99.7%は中小企業であり、そのどれもがこの跡継ぎ問題を抱えているのだ。
そして毎年多くの企業が店をたたんだり、他社への身売りをしていくのである。
だから生雄さんがこの会社を継ぐ意思表示をしたときから、秀美社長の動きが変わったというのも納得だ。
50名以下の全体が良く見渡せるハンドリングのしやすい会社から、あえて組織をより大きくしていく方向へと大胆に舵を切ったんだ。
生雄さんは文系ながら、新卒入社先は大手SIerの技術職を選び、9年丁稚奉公をしたそうだ。
最後の2年は総務省へ出向して、世の中のITシステム作りがどうなっているのかについて勉強したんだって。
そして、生雄さんは30を超えてから満を持してシステムサーバーへと凱旋したのである。
凱旋後のことと次期生雄社長の野望については、後編で書こうと思う。
規模は全く違うが、かく言う山じいも親父が起業したガソリンスタンドを継ぐことなく、大学に身を置くことになった自分の親不孝(親父は大学教授になったことをとても喜んでいたので、ま、親不孝じゃないか!)を思うと、秀美社長の喜びは一方ならぬものだったろうと思う。
これまで親父の会社を引き継ぐボンの思いや、苦労話はたくさん聞いてきたけれど、おふくろさんの会社を継ぐボンは、これはこれで大変だろうなとお察し申し上げますわ。
だってあの秀美社長だぜ…頑張れ、生雄!!
人事部長規之さんに伺うシステムサーバーの未来
最後に少し視点を変えて、システムサーバーのこれからについて、システムサーバーの神セブンの一人、人事部長の鈴木規之さんに聞いてみよう。
鈴木規之さんの名字は、秀美社長と同じ鈴木だが、規之さんは社長の血縁者ではない。
創業近くから、技術者として秀美社長を支えてきた一人だ。
現状では山じいと一番近しい立場、採用の大将でいらっしゃる。
その規之さんに、生雄さんがこれから継ぐことになるこの会社の未来について伺った。
規之さんは元より人事のような間接部門職ではなく、システムサーバーの二本柱の一つ、大手インフラ企業の「設備管理システム」や「料金計算システム」の開発を手掛けてきたバリバリの技術屋だ。
ここにきてその人柄が買われ、この会社の人事を任されるようになったそうだ。
彼の目に次期社長の生雄さんはどう映っているか、ズバリ聞いてみた。
規之さんいわく、「生雄さんは古参技術者のことも思いやることができ、皆から好かれる若大将である、きっと秀美社長の想いを上手に継いでいかれるんじゃないか」とおっしゃっていた。
そして、「これからさらに進化していく、このシステムサーバーが何より楽しみなんだ」と嬉しそうに話すとともに、「だからこそ、そんな生雄次期社長を支えていく元気のある若手メンバーを採用して教育していくことが自分の使命なんだ!」と意を強くされていた。
なんせ、140人規模の会社で、この数年毎年14〜15名の新卒採用をしているんだよ。
名工大からも三年連続で採用していて、来年春なんか3名も入社予定なんだ。
次期社長から直接口説かれたら…
もちろん、規之さんだけでなく、生雄次期社長も積極的に採用現場の中心に立っている。 先日開催された名工大生有志6名のための体験型3DAYSインターンシップを見学したが、中心になって仕切られていた生雄さんのお姿はなかなか頼もしかった。
やはり、これからこの会社を継いでいく次期社長から直接声をかけられて、「僕はこの会社を***のようにしていきたい!ぜひ一緒に手伝ってくれないか?」って誘われたら、ぐっと気持ちが傾くよな!!
この「若社長、僕と一緒に作戦」は山じい一推しの採用戦略なんだ。
採用の現場で学生たちと直接接し、育成にも関わっている人事の村山さんは、「近頃の新人たちは腹積もりができている」と感じるそうだ。
他に行く会社がないからシステムサーバーを選んでいるとかじゃなくて、「ここでなら生雄次期社長と何かができるぞ!」っていう期待と意気込みで、志望するようになってきたんだと思う。
これからのシステムサーバー、山じいもとっても楽しみだ。
文 山じい
編集・撮影 つかっちゃん
後編はこちら
名古屋市中区に本社を置く、企業向け業務システムの開発を請け負うシステムインテグレーター。1997年の創業から24年連続黒字を達成している成長企業です。2035年の達成に向けた555計画を掲げており、次期社長自ら採用活動に積極的に参加している。