山じい完全ウォッチング

名工大生の就活に必要な情報を発信中。名古屋工業大学キャリアサポートオフィス長 山下教授に完全密着。Presented by welcomes inc

山じいと縁の深い京都のケミカルメーカー|おもろい企業 明成化学工業(前編)

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おもろい企業探索ツアー第19回は、『明成化学工業株式会社』。 このシリーズは名古屋工業大学に縁のある企業を訪問して、社長や役員、名工大卒業生に話を聞き、山じいの視点からその魅力に迫るという企画です。では前編をどうぞ。(過去の特集一覧はこちら

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今回紹介する明成化学工業は、これまでと少し趣を異にした会社だ。取材する以前から山じいとの関係がとても深い化学系のメーカーである。

ここで改めて諸君に確認しておきたいのだが、山じいをただのキャリアサポートオフィスのおっちゃんだなんて、思ってないだろうね? 「名古屋工業大学大学院 生命応用化学専攻 教授」という、厳めしい肩書を持っていることを知っているかな? 

そう、山じいはキャリアサポートオフィス長になる前から、名工大の化学の教授であり、専門は高分子化学、すなわちプラスチック系。高分子化学に絡んだ教科書だけでも2冊も書いてるんだぞ!

ま、でも今は名工大の化学の先生というよりも、就職課のおっちゃんといった方が通りが良いようだ。だって、人事担当者や就職情報企業の方に少しでも化学の話をすると、「先生、本当に化学の先生なんですね!」っと感心されてしまうぐらいだからね。

では、そんな高分子化学の教授としての山じいと、明成化学工業の関係についてお話ししよう。

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擦れによる色移りの試験器具

古くから付き合いのある京都の化学薬品メーカー 

明成化学工業は京都市右京区西京極中沢町にある正真正銘の京都の会社。七条通りを西走し、西大路を過ぎた西京極あたりに本社を構える。そんな立地で化学薬品を作っているんだ。

主力製品は「繊維加工助剤」や「撥水加工剤」、そして山じいの研究と関係している「アルコックス(製品名)」という、ポリエチレンオキサイドだ。

この化合物は、シャンプーやボディーソープ、洗顔フォームや髭剃りのスムーサーなどに使われている。山じいの研究室では、1/4ぐらいの学生がこのアルコックスを使った研究をしている。残念ながら、研究内容は非公開だが。

明成化学工業には毎年何名かの学生を1〜3ヶ月のインターンシップで預かってもらっている。これまで山下研から明成化学工業に入社した学生は10名もいるんだ。

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山下研出身の執行役員お二人と記念撮影(海野さん[写真左]と橋本さん[写真右])

全従業員が230名程度の会社へ一つの研究室から10名は多いでしょ。今現在在籍しているのは4名で、そのうち2名が執行役員、1人が技術系の部長になっているんだ。なかなかの関係であることが分かってもらえると思う。

ここまでの明成化学工業の名工大OBは、なんと山下研絡みだけ。なんで?と不思議に思うかもしれないけど、これにはうちの研究室の先代教授、N先生が大きな役割を果たしている。

化学好きだけどちょっと大手には向いていない学生を、N先生が明成化学工業に推薦してきたという経緯があるんだな。N教授はこの明成化学工業の技術顧問をやっていたから、その関係もあって明成化学工業に就職した学生が多かったんだ。

ま、そんな経緯で山じいの指導した学生も紹介するようになった。そして、名工大と明成化学工業との間を取り持ってくれた立役者が、海野さんこと、うんちゃんだ。このうんちゃんなくして山じいと明成化学工業の関係は生まれなかった。

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海野執行役員は山下研出身

うんちゃんは平成3年の春、山下研に入り、平成4年に名工大の応用化学科二部(夜間コース)を卒業して明成化学工業に入社。

当時の二部生はほとんどが正規の仕事に就いていて忙しく、毎日研究室に顔を出して研究をしようという変わった学生はほとんどいなかった。大体は週に一回ぐらい顔を出して、論文を読む程度で卒論の代わりにしていた。だから二部生が研究室に馴染むことは少なく、シラーッと卒業していくことが常であった。

ところがこのうんちゃんは、端から様子が違っていた。昼間は仕事場、そして夕方から毎日研究室に通う変わり者(本当は、これが一番まともなんだが)。だからうんちゃんは二部生ながら、すっかり研究室に溶け込んでいたんだ。さらに彼は大学院を目指して一部の連中と一緒に受験勉強をし、夏の大学院入試に臨んだ。結果は残念ながら力及ばず、就職へと舵を切ったんだけどね。その当時は今のように8割も大学院へ進学するようなことはなく、大体3〜4割の進学率だったんだ。昔の大学院は難しかった。

大学院に落ちた彼は夏休み明けから就活をすることになり、そこでN教授の推しもあって、この明成化学工業の門を叩くことになった。豊田市出身の人間が何の縁もゆかりもない遠く都の地で働くことになったんだ。

入社して、研究開発部門で開発に携わることになったものの、人との付き合いが上手く懐に入り込む術を持っていた彼は、不本意ながら4年目にして化成品の営業部署へ異動した。これは、彼にとってだいぶ悔しい出来事だったんだと思う。名古屋営業所勤務になった頃、研究室に顔を出しては「実験器具を貸してほしい」と言って、何やら薬品をこねくり回していたものね。こんな二部生いないよ。普通の学生とは根性の入り方が違っていた。

そして、名古屋配属から1年経った頃、アルコックスの商品価値について勉強したいと、研究室にやって来たんだ。アルコックスを世に広めるためのマーケティングの勉強がしたかったんだね。

ちょうどその頃、山じいは新しくできた「産業戦略工学専攻」という、名工大を横串で通した大学院の所属となり、日夜学生と共に、工学と市場の関わりについて勉強していた。なんともタイミングの良い話じゃないか。そこで、うんちゃんと一緒にアルコックスの勉強会でもしようかという話になったわけ。

早速、うんちゃんの営業業務が終わった後、明成化学工業の名古屋営業所に集まって、月1ぐらいで勉強会を開くようになったんだ。ま、その後の夜の栄での飲み会がメインではあったんだけどね。アルコックスの価値はどこにあるのか? それを消費者にどのように提示すればよいのか? 夜な夜なそんな勉強をする関係を1年ぐらいは続けたと思う。

名工大を卒業した後に、これほど研究や業務を通して付き合いのあるOBというのは数えるほどしかいない。山登りやスキーなどで繋がりのあるOBは山ほどいるのだが、逆にうんちゃんはそういうアクティブな研究室行事には一度も参加しなかった。そんな真面目なうんちゃんとの関係を続けていくうちに、彼はどんどん偉くなっていった。そして当時、うんちゃんから研究部長を紹介してもらい、研究面で寄付を頂けることになった。この関係は今でも続いている。

このように、元々山じいと明成化学工業との関係は、研究から始まったんだ。

明成化学工業の3代目社長は、うんちゃんよりも若い。彼が大手商社での修行を終えて凱旋してきたときから、社長とうんちゃんは年の近い兄弟のような関係を続けてきており、山じいも交じって、3人でよく祇園なんかに繰り出したものである。

うんちゃんは明成化学工業の上席執行役員となった今でも、昔のよしみで山じいの我がままに付き合ってくれる。

だからほぼ毎年、山下研の学生を数ヶ月預けて、主力製品のアルコックスの機能化について一緒に研究させてもらったりしてきた。  

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アットホームな雰囲気&社員の2割が研究者!

さらに、今の山じいの本質は研究よりも就職支援で、その得手を使わない手はないだろうということで、総務人事部の東出さんとここ数年、明成化学工業の採用システムの改善にも取り組んできた。

何といっても山じいがこの会社を勧めるポイントは、従業員数200人強の会社ながら、研究開発に2割もの人員を充てているところだ。

また、彼ら研究職が一堂に会している総合研究棟の2階は、大学の化学系研究室そのもの。皆が執務を行う居室があり、敷居をはさんで実験台やドラフトが並んでいる。山じいの研究室でも隣の研究室と合同の居室に30名ほどの学生が集っており、ほとんどそのままの雰囲気がそこにあるんだ。 

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居室では各開発部の部長がにらみを利かしているので、大学の研究室ほど賑やかではないが、皆が相談しながら仕事をしており、笑みが絶えない。そんな研究室が明成化学工業にはあるんだ。これこそが、明成化学工業の一番の売りだと思っている。

他の化学系メーカーの研究室も何社か見てきたが、どこももっとピリピリしているのが普通だ。研究のやり方にしても、研究員が考えたレシピ通りに実験してくれる一般職の研究補助者が、ただ黙々と仕事をこなしている会社が多い。

だからこそ、この明成化学工業の研究棟の雰囲気には特別なものを感じるのである。 

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福利厚生も拡充

そして、明成化学工業が逆に隠したいところ……それはやはり、設備面ではなかろうか。いや、設備面であった。

何といっても創業70年超。この土地の水の良さと、当時京都で盛んだった繊維産業を見越して営業を始めた染色助剤メーカーの老舗である。設備はあちこちにガタが来ていた。

うちの研究室の連中がインターンシップでお邪魔して、帰ってきたときに言うセリフは決まって、「あの値段であの食事内容はとても良い!でも寮や食堂がボロイ!」だった。 

こういった話は、インターンシップをなさる企業さんでよくある話だ。山じいは、いつも採用の皆さんに言っているのだが、「衣食住に絡むことは大切にしなければいけないですよ」っと。だって、毎日のことだからね。せっかくおもろい仕事をしていても、福利厚生がショボければ、そのインターンが逆に仇となって、就活生が遠のいてしまう。逆効果になるんだな。

明成化学工業のネックもそこにあった。無論、社長はそこのところよく分かっていらっしゃって、数年前に本社横の空き地を買い取り、アパートを2棟新築された。(上記写真の建物) よっ!! 太っ腹!! だから現在は、明成化学工業の会社紹介で、この寮をこれ見よがしにアピールポイントにしている。食堂もしかりで、本社管理部門の2階にある少しレトロな「THE 食堂」も、社長のテコ入れで結構ましな食堂に進化したんだ。明成化学工業さん、やる気出していますよ。無論それだけ利益も出てるってことなんだよな。

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建て替えしたばかりの寮はとても綺麗な施設だった 

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明成化学工業の歴史 

と、前置きが少々長かったんだけど、ここからは明成化学工業の歴史について紹介しよう。

語ってもらったのは明成化学工業の現会長、貴志(きし)さんだ。何とも京都のお公家さんっぽい名前だが、貴志の出は、紀州・和歌山の紀ノ川にほど近い、「猫駅長・たま」で有名になった和歌山電鐵貴志川線の通っている貴志川町らしい。

創業者・貴志久太郎氏が戦前に染料の貿易会社「明成商会」を設立し、戦時中はオーストラリアから輸入できなくなった軍服コート用のウールの代替品として、絹をウールタッチにする薬剤を作り始めた。戦後には合成繊維用の染色助剤の製造販売を始めたそうだ。ナイロンやポリエステルなどの合成繊維は絹やウールなどの天然繊維と違って、染めにくいんだよね。なぜかというと……いやいや、これは山じいの裏(いや表か)の専門的な話になるので、ここでは割愛。

貴志会長曰く「昔はね、ものすごく儲かったんだそうですわ!! 作れば売れる、ガッポガッポと!!」だそうです。先代はそれでがっぽりと儲けて、もう一生働かんでええほど儲けたそうだ。それで仕事を会社のメンバーに任せ、毎晩、祇園先斗町(ぽんとちょう)の花街に繰り出し、「京都一の遊び人」とまで言われていたそうだ。それを見て育った現会長は、一切花街に出向くことはないそうだ。なにせ名前が貴志なので目立つ目立つ。「舞妓はんや芸妓はんにせびられに行くみたいなもんだから」と。そういえば、会長と花街で呑んだことは一切ないなぁ。

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2代目貴志会長のスポーツマンシップと事業継承

こんな風に言うと現会長は堅物?ってなるけど、イヤイヤとんでもない。御年83歳とは絶対に見えないほど肌も艶々で、まだゴルフに出かけられるほどの超健康優良老人なのだ。

会長は根っからのスポーツマンで、中学生の頃にはなんと関西地区の陸上大会において、三段跳びで優勝をされている。今でも、現行中高生の陸上の記録にお詳しく、現役感バリバリなんだな。ま、さすがに今三段跳びすることはないだろうけどね。高校は京都の進学校で、そこではラグビー部に入っていたそうだ。

でも父親である初代社長から、「技術系に進むお前にスポーツなんぞ要らんだろう」という理不尽なお達しがあり、泣く泣くラグビーを辞めたんだそうだ。大学では化学を学び、卒業後は修行のために他の染工場に入社。28歳で晴れて明成化学工業へ凱旋された。

とはいえ周りの目は厳しく、何か成果を上げないと、次期社長としては認めてもらえない雰囲気。京都一の遊び人の下で、この会社を切り盛りしていた番頭さんたちの目には、「こんな若造に何ができるのか」って、そんな風に映っていたそうだ。でも、貴志会長が導入した撥水剤事業がヒットしてからは、周りの目が変わったそうだ。

2代目といえども、いや2代目だからこそ、当時は大変厳しかったようで、山じいのおもろい企業探索ツアーでは折々に触れている「事業継承の難しさ」について聞かせてもらった。

繊維産業のシェアを海外に奪われ、傾きかけていた染色業界。そこで、決して諦めることなく挑戦し、今の明成化学工業へと進化させてきたのは何といっても貴志会長の頑張りなわけで、そう、会長のスポーツマンシップの賜物だと思う。

明成化学工業は、会長のお兄様が継がれた「明成商会」と対になっていて、この京都の地の染料関連会社として全国に販路を広げてきた。今では染料以外の化学薬品の製造も手掛け、前述の撥水剤を中心とした繊維加工助剤、アルコックスなどを売り上げる中堅ケミカルメーカーとなっている。

社長の熱い思いと事業継承計画については後編でゆっくりと描くことにしよう。

文 山じい
編集・撮影 つかっちゃん

後編はこちら

blog.nityamakei.com

 

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明成化学工業株式会社

1940年創業、京都市右京区に本社を構える化学薬品メーカー。繊維関連の化学品製造から事業を開始し、今では多岐にわたる分野でのオリジナル製品を展開している。「お客様の製品の品質をあげること、生活を豊かにすること」を目指して開発・製造・アフターフォローに力を入れている。少人数精鋭の開発現場は裁量が大きく、アットホームな雰囲気。

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