『おもろい企業探索ツアー』第10回は東和耐火工業株式会社。
このシリーズは名古屋工業大学に縁のある企業を訪問して社長や役員、名工大卒業生に話を聞き、山じいの視点からその魅力に迫るという企画です。では前編をどうぞ。
夏休みも休まずおもろい企業探索ツアー!第一弾は東和耐火工業
大学もやっと夏休みに入った。
学生の君たちも嬉しいだろうけど、かく言う教員もとても楽しみにしているんだよ。
授業が無い!会議が少ない!好きな仕事ができる!!
今年の夏はおもろい企業探索ツアーの取材で3社も訪問してきた。その一つが不定形耐火物メーカーの東和耐火工業だ。
不定形耐火物??なんじゃそれ??ってか。レンガみたいなもんだけど、詳しくは後でゆっくりと説明しますわ。
本社は東京の日本橋なんだけど、工場を岐阜県可児市に構えている会社で、これまではあまり山じいと絡んでいなかったし、名工大の企業研究セミナーにも出ていない。
にも拘らず、この全従業員数が160名程度の東和耐火工業になんと名工大のOBが14名もいるんだよ。
すんごくねえかあ??1割もいるところってそうは無いよ。なんでだぁ??
東和耐火工業の社員の1割が名工大のOB!?
東和耐火工業は以前より元名工大副学長のN先生に強い結びつきがあり、N先生の在職当時は沢山のOBがコンスタントに入社していたそうだが、N先生が定年になりこの会社の技術顧問に就かれてからは大学との糸が切れてしまっていたのだ。
そこで山じいが紹介されたというわけなんだよ。
N元副学長は山じいの卒業した本学 繊維高分子工学科(現生命応用化学科・ソフトマテリアルプログラム)の大先輩で、研究分野も同じだったので公私に渡り大変お世話になった方。
山じいをキャリア支援の道に導いてくださった恩人の一人であるので、N先生からのオーダーには全力で応えねばならない。
N先生から「山ちゃん後はお願いね!!」と言われたら絶対に嫌とは言えないのですよ。
東和耐火工業はこれまで、N先生という架け橋一本に頼っていたので現在名工大が展開している採用スキームには乗っかっておらず、改めて大学との付き合いをゼロから築かねばならない。この辺りちょっと難しいよね。太いパイプがあるのも善し悪しだよ。
昔は良くも悪くも強引な教授推薦があった
さてここで当時の就職指導方法について少し触れてみよう。悪い言い方をすると大学教授によるごり押し型推薦方式だ。
自分の指導している学生に、
教授「お前さんは、そういうことがやりたいのなら、あそこの会社がええと思うけど、どや?!」
学生「はぁ、そうですか、少し考えさせてもらえますか?」
教授「明日返事せえよ、そしたらすぐに人事に電話入れたるから!」
学生「......」ち~ん!!
で一人の若者の人生が決められていったわけであります。
当時の就職活動はこんなもんよ。
かく言う山じいも、当時のボスから、金曜の夕方に呼び出され、
ボス「山下、お前は企業には向いてないから、大学に残ってうちの助手やれ!」
山じい「はぁ???僕が???」
教授「月曜の朝に返事せいよ!」
山じい「はあぁぁぁ・・・」
っというやり取りで、山じいの名工大での教授の道は始まったわけなのさ。
昔はさ、これでよかったのよ!!
指導教員が学生の近いところにいて、学生の事をよく分かってくれていた。そしてそれぞれの先生が会社と深い結びつきを持っていた。だから、名工大の教授から推薦された学生はそれだけでOKが出たわけなのよ。
それが今では・・・・
教授の第一義は研究成果を上げる事であり指導学生を推薦できる企業がない、または学生の就職には興味がない。
この程度ならまだ良い方で、学生の人生を左右するようなことはできないと、就職指導を放棄してしまっている先生もいらっしゃる。残念なことだ。
山じいをキャリア支援へ導いたN先生の大きな存在
そんな中でN先生は沢山のパイプを色んな企業に持ってみえて、相談にきた学生にポンと会社を紹介できる、そんな芸当が出来る名工大でも稀有な先生の一人だった。
山じいはその姿に憧れて少しでも近付けるよう、多くの企業採用の方々と面識を持つよう心掛けてきた。
N先生と山じいの違いは自分の研究室の学生だけでなく、名工大における本務として名工大生全員に対してやろうとしているところなんだな。
勿論そんなことを年間1000名近い本学の就活生全員に対して出来る筈もなく、その代わりに奨励しているのが名工大のジョブマッチングシステム(後付け推薦方式)なのさ。
あははは、ジョブマッチのルーツがこのN先生にあったものだから、大分脱線してしまったわ。
話を東和耐火工業に戻そう。
耐火物とは?
東和耐火工業は昭和42年に今の会長が創業した不定形耐火物のメーカーだ。
耐火物とは字の通り、高温に耐える素材で主に高温で燃焼する炉内などに使用される。
耐火物には定形と不定形がある。
レンガのような四角いブロック状のものを定形耐火物といい、積み上げやすい垂直な面に使われる。
一方、セメントのように粉を水で溶かして使用するものを不定形耐火物といい、レンガを積み上げられない天井やカーブのある部分に使われる。
現場で自在に成形できるのが不定形耐火物の利点で、施工方法はコンクリートの流し込みをイメージすればいい。(コンクリートは高温に耐えられないが)
ゴミ処理施設にある焼却炉や、大きなものだと製鉄所の鋳鉄を溶かす高炉に使われているんだ。
鉄をドロドロに熔かすことのできる反応釜だから、1500℃や1800℃にも耐えることのできる素材なんだよ。
そうか、だから焼き物の町 多治見のお隣の可児市で創業したのか!!
創業者はやっぱりおもろい
創業者である現会長さんはこの地域の焼き物メーカー出身なのかな?と思ってたんだけど実は大間違いでした!!
なんと会長のご実家の家業はマグロ漁業。
斜陽し始めたマグロ屋家業にいち早く見切りをつけ、特許とノウハウを持っていた友人と一念発起してこの会社を作られたんだ。
詳細は東和耐火工業の「東和耐火の歩み」に会長の回顧録が記されているから是非読んでみてくれ。
会長のお人柄が出ている面白い文章だよ。人をとっても大事にしている社風が滲み出ている。
そんな素人みたいな人が突然事業を始められるの??と思うんだけど、一緒に始めた友人が不定形耐火物のノウハウをお持ちだったそうだ。
会長が作り出した資金を元手にすぐに工場を造り、翌年にはJFEの高炉の仕事を受注して岡山県水島市に事業所を置いたそうだよ。これは凄いよね。
大きな焼き物工場を期待して可児へ行ったが...
それでは東和耐火工業を解剖してみよう。
そこには元マグロ漁師がチャチャっと起業できた秘密が潜んでいるんだ。
そしてチャチャッと始めちゃったのに、きちんと顧客を抱えてシェアを握る術もあるように思う。素人考えだけど。
実は取材をするまで山じいは耐火物について大きな勘違いをしていた。
不定形耐火物を東和耐火工業の工場で焼き上げて現場まで運搬しているとばかり思っていたんだ。
JFEの高炉のパーツを造れる工場の生産設備は相当大きなものになるんじゃないだろうか?
あれ?でもその割にはこの工場、小さくないかあ??
近藤工場長代行に工場を隈なく見せてもらっているうちに、この大きな勘違いに気付いたんだ。
工場での生産工程は「混ぜる」のみ!?
これまでどのメーカーでも、製造現場の見学に少なくとも小1時間は掛かっていた。
それがどうだろう、いつもの様にヘルメットを借りて工場内に入り説明を受け、こんな設備があるんですよと5〜6箇所の設備と分析室を見て回ったが20〜30分で終わってしまった。
可児の工場は、うずたかく積まれた原材料の袋を開けて攪拌(かくはん)設備に投入し、混ぜ終わったら東和の袋に詰め直す、それだけの工場だったんだ。
混ぜ方は数種類はあったけれど、ほ〜っ!!こりゃビックリ、これだけの技術??こんなのただの袋詰めの事業じゃないの。名工大生のやることではないよね!?
ミソは素材調整と施工のノウハウ、だから東和耐火工業は強い
あれ?そうなの??
山じいの勘違いはこの会社をおもろい企業と選定したこと??あははは、そんなハズはない!!
だってこの会社の社員の1割は名工大OBなんだから。
勘違いはこの不定形耐火物の作り方なんだわ。
不定形耐火物というのは、定形耐火物と違って巨大な生産設備(ライン)や、工場スペースが要らない。
不定形耐火物の生産は原材料の配合で以上なのだ。
つまり、その混合された原材料の粉体を現地で水溶きして、コンクリートの様に型に入れ、脱水乾燥させれば製品が完成する。
大事なのは設置する設備に要求されるスペックに見合った原材料を配合し、現場で施工するノウハウなんだな。
こんな製造業もあるのか!キモは工場にあらず
会長のお言葉「大事なのは特許でなくノウハウだ。」というのがよ〜く分かったわ。
その耐火物の中で何が反応するのか?鋳鉄を造るのか?ゴミを燃やすのか?温度は?空気の量は?燃焼時間は?
そういった細やかな現場の要求に応じて原料を選び、混ぜ方を考え現地で施工する。
それこそが東和耐火工業の技術力であり、だからこそマグロ屋の会長が友人の持っていたノウハウと特許一つで起業できたんだ。
参入は簡単だけどノウハウがない会社には真似できないんだよねー、いやぁー、おもろい!!こんな製造業もあるんだなあ!!
東和耐火工業にはこの微妙な配合のノウハウをケミストリーできる人材、アナライズできる人材が必要なんだ。
このノウハウには素材の調合と現場での施工能力だけでなく、継続的に必要なメンテナンス需要のために客先と深い信頼関係を築く能力も含まれている。
だからこそ、この会社の従業員の一割もが名工大OBで占められているのか。
N元副学長に大事にされていたのもよく分かるなあ…。
工場見学だけで取材は終わる予定だったが、施工の現場を見ないと東和耐火工業の真髄は分からない!ということで取材日を追加。
急遽、東京本社と長野県佐久市の施工現場に伺うことになった。合計3日間も取材したのはこれが初めてだ。後編もぜひ読んでほしい。
山じい
後編はこちら
東和耐火工業株式会社
1967年創業、生産拠点を岐阜県可児市に置く不定形耐火物メーカー。耐火物の設置や保守に携わる第一事業部と、製品の性能追求と製造を担う第二事業部からなり、名古屋工業大学のOBが14名も在籍する(2019.9現在)稀有な中小企業。製品の特性上新規参入は難しく業績は非常に安定しているが、市場開拓のために海外進出も推し進めている。