『おもろい企業探索ツアー』第9回は株式会社ヨシタケ。
このシリーズは名古屋工業大学に縁のある企業を訪問して社長や役員、名工大卒業生に話を聞き、山じいの視点からその魅力に迫るという企画です。(前編・中編はこちら)後編をどうぞ。
ヨシタケ最大の謎を解く なぜこんなに採用が上手いのか
ヨシタケの採用は意外である。
と言っても採用の方法が特徴的というわけではなく、その成果が異質なのである。
ヨシタケは皆が憧れるような大手企業でもなければ世間をドキドキさせるような最先端の開発をしているわけでもない、たかだか従業員500名弱の中堅企業。
主力製品は20年近く前からある蒸気配管の自動調圧バルブで、壁の中や床の中に埋まっていて普通の人は製品を見ることさえできないコテコテのB to B製品。
福利厚生も世間並で、突出して手厚く働き易さを追求しているというわけでもない。
にもかかわらず、直近7年間の理系採用20名のうち名大が7名、名工大が4名、その他国公立から3名だという。
文系では東大や京大も何人か入っている。
これは山じいの常識からすると意外というより、もう驚きなんだよ。
下手するとこの規模メーカーでは「名大・名工大は敷居が高すぎてウチからはとてもとても」って言われることさえままあるというのに。
製品全体に携われるフィールドを選んだOB若松君
意外性の謎を解明するべく「ヨシタケ人」と会い、解剖してみることにした。
まず最初に話を聞いたのは名工大院卒の技術屋 若松君だ。
機械工学科計測分野を卒業して入社3年目、稲沢出身の長男で「地元でモノづくりがしたいっ!」とヨシタケを選んだそうだ。
ちなみに彼の指導教員だった種村教授は山じいの名工大の同級生。
山じいと同じく還暦を迎えたにもかかわらずフサフサの黒髪の若作りで、禿ジジイな私はいつも嫉妬心を抱いている。
いやいやそれは置いといて、なぜ若松君がヨシタケを選んだかというと、自動車や工作機械など製品の一部分しか作ることのできないようなモノづくりではなく、自分で開発から設計・組み立てさらには梱包発送までできるような仕事がしたいという軸があったからだそうだ。
もちろん彼が長男で地元志向だったこともヨシタケに決めた大きな理由のひとつだろう。
長く就職の相談を受けていると、車や飛行機のようなモノづくりはイヤだというヤツも多いんだよね。
人とガツガツ競うのではなくじっくりとモノづくりがしたいとか、自分が考えて作ったもので人を喜ばせるようなモノづくりがしたいってヤツ。
それが若松君なんだよな。
だから開発・設計・製造・発送まで自分でやり通せるようなヨシタケに就職するって決めたって気持ちも分からんでもないなぁ。
たとえ製品自体がワクワクドキドキするようなものでなくて、どこにでもあるようなものでも自分の手で作りたかったんだそうだ。
専攻分野を活かしタイでチャレンジしている高木君
さて、若手をもう一人紹介しよう。
こちらはヨシタケ・タイ工場(YOSHITAKE WORKS THAILAND 以下、YWT)で紹介してもらった高木君だ。
彼は西区にある老舗雑貨屋の7代目長男なんだけど、店はお父さんの代で閉めるそうで「これからは自分の好きなことをやりなさい」と言われたとか。
名工大OBではないが、彼の学生時代の研究はなんと鋳造!
ヨシタケがバルブづくりで一貫生産を目指す中、一番最初にして一番弱かった鋳造という工程において「専門分野の人材が欲しい」という技術部門からのたってのお願いで採用に至ったというレアケースだそうだ。
入社当初はまずテクニカルサポートとして仕事を覚え、その後4年間、開発部門にて新規製品の開発に携わり、なんと開発部署に高木研究室という独自ラボを立ち上げさせてもらったそうだ。
そしてタイ・チョンブリ工場で鋳鉄だけでなく青銅鋳造工程を立ち上げるべく、5年目の春から満を持してバンコク住まいのYWTの人間になったんだ。
「タイで働くことは自分にとって大きな挑戦だけど、自分の能力を評価してもらって新しい部門の立ち上げに参画できるこんなチャンスを逃すことはない」と渡泰を決心。
まだタイに来て半年だけど、YWTのメンバーとは打ち解けて楽しく仕事ができているようだ。
ただ残念なことに、タイ料理がどうも苦手で、毎日の食事は専ら自炊とセブンイレブンで済ませている。
早いとこ良い人を見つけて日本料理を作ってもらえるようになるといいね。
就職氷河期に入社した開発事業部長 新庄さん
さて、若手2名の紹介に続いて次はヨシタケの開発事業部 事業部長の新庄さんを紹介しよう。
新庄さんは八事の大学の工学部機械工学科の出身で、先の2人と同様に愛知県民かと思いきや静岡出身、それも葵区というではないか。
葵区は山屋(登山好き)の山じいにとって、とても馴染みの深い場所。
全国で一番面積の広い行政区で、区内の最高標高地点は南アルプス間ノ岳の3,190mなんだよ。
南アルプスを区内に有する自然豊かな、というか自然そのものが行政区という土地で育った彼は当然のように山好きでとても気が合う。
山間で茶畑農家をやってみえる実家から静岡市街に出るには2時間に1本しかないバスで2時間弱。
そんな場所からは静岡大学だろうが通学は不可能。
それで八事の大学に入学し、専攻は超電導だったが当時はバブルが弾けたあとの就職氷河期で大学のキャリアセンターの勧めるままに決めたのがヨシタケだったそうだ。
だから入社するまでは、ヨシタケが何を作っている会社なのかもよく知らず、バルブについては0から勉強したそうだ。
そんな形で入ったものの、やりたいことをやらせてくれるという自由な社風がフィットして新規バルブの開発に熱中し、今ではヨシタケの技術を引っ張る存在となり活躍されている。
自動バルブはまるでカラクリ 理系脳を刺激するおもしろさ
新庄部長からタイへ行く前に聞いたバルブの面白さはとても新鮮なものであった。
話を聞きながら、中学の夏休み自由研究で慣性の法則を表現するのに、悪ガキ仲間と「ビー玉ジェットコースター」を作って一等賞をもらったことを思い出した。
振り返れば山じいの工学部志向はそこから始まったといっても過言ではないかもしれない。
新庄さんは自動調圧バルブの面白さをNHKの人気番組ピタゴラスイッチに例えていたけど、山じいの自由研究もそんなピタゴラスイッチ的作品だったんだよ。
モノづくりの基本原理を応用したシンプルだがワクワクするバルブの構造の説明はとても面白かったんだ。
例えばこの「流体圧自動調圧弁」なんか面白い。
流路における弁上流の圧が高くなると主弁が開き弁下へ蒸気が流れる。
すると下流の圧が上がり、その圧力で主弁が閉じるという仕掛けだ。
言葉で説明するのは難しいけれど、カラクリのような仕掛けで流路中の蒸気圧を一定に保つシステムが面白い!!
こんな一見単純な仕掛けが調圧弁システムのそこここに使われていて機能しているんだ。
使われる場所や蒸気の圧力、その蒸気の使い方によって調圧弁にはいろいろな種類があって、さまざまな工夫がなされている。
蒸気配管の調圧制御という単純そうに見える仕事なんだけど、そこには無数のカラクリ仕掛けが潜んでいるんだよね。
そんなことに気付いた山じいは新庄さんの説明の最中に目が輝いたらしい。
新庄さんはそれを見逃さなかった。
文系の浅野っちと理系の山じいとでは、話の中でウケるツボが全然違うことに気付いたそうだ。
つまり逆に言うと開発現場のトップですら、工学部の学生にウケるツボというか、バルブの説明で面白いと感じさせるポイントが今までは見えていなかったんだね。
ましてや、ド文系の人事の浅野っちが工学部の学生に受けるツボをアピールすることは難しく、それでも採用できているって一体どうなのって思ったんだよ。
もちろん会社説明会には技術屋も連れて行くだろうが、そのツボを浅野っちは訴求できない。
とすると、ヨシタケの魅力が学生には伝わりきらない。
それでも採用できている…
ここが今まで感じていたヨシタケの採用への違和感なんだ。
それでもあれだけ上位校の学生を採れているということは結果的にはOKなんだろうけど、ホントにそれでいいのかってね。
大成功裏に終わった第一回 世界バルちゃん飛ばしコンテスト
ヨシタケの採用が毎年上手くいっている一番の要因はやはり採用担当の彼、浅野っちである。
彼はヨシタケの魅力を上手く伝えられるアイディアマンなんだ。
先日、彼と若手技術者が考えた工夫いっぱいの2DAYSインターンが実施された。
「世界バルちゃん飛ばしコンテスト」というとてもユニークな企画で、技術者を目利きするにはとても良いスキームなんだ。
このスキームは2日間のインターンシップ期間内に設計〜組み立てをした投擲機でバルブ業界のマスコットキャラ「バルちゃん」をいかに遠くへ飛ばせるかを競うグループワーク。
学生はホームセンターへ出かけて1万円の軍資金を使って材料の買い出しからさせてもらえる。
参加した学生はモノづくりの楽しさ、面白さ、大変さと共にヨシタケがどういう会社か身をもって学べたんじゃないかな??
このインターンの中継をLINEでやっていて見たんだけれど、みんな必死なの。
終わったら感激して涙ぐむやつまでいた。
これだよな、技術屋って!!
浅野っちはド文系にもかかわらず、よくこんな企画を考えた!!
学生の工作意欲、技術力、そしてマネジメント能力をみるのにこれは面白いインターンだと思う。
総務の人間だけでなく若手技術者と共に取り組んだことで魅力的なインターンに仕上がっている。
さすが浅野っちだ!!上位校採れる秘訣はここにあるんだな。
学生を引き付ける「人たらし力」もね。
でも山じいはそのままでは引き下がらない。
このインターン企画にヨシタケのあの「バルブのオモロイ仕掛け」が付け加えられないかなあ??
ま、浅野っちには無理だろうから若手技術者達よ、次年度はそこら辺も入れて考えてみようぜ。
新庄さん、若松君、もっと浅野っちにバルブのどこがどうおもろいのかを徹底的に教えましょうや!!
彼は必ずそれを表現して、学生に上手に伝える方法を考え出すから。
そういう能力はピカイチだから!!
逆に技術屋はそういうの苦手だよね。
何が面白いか分かっていてもそれを上手く表現できない。
ヨシタケの自動調圧バルブのカラクリの面白さを上手く学生に伝えられたら、ヨシタケの採用はさらにもう一つ上の次元にいくんじゃなかろうか?
タイ工場の勢いを小牧にも伝播させよう 山じいが考えるヨシタケ採用の進化論
ヨシタケの採用の未来を考えていたら、ふと早川工場長がタイで話していたことを思い出した。
「なんだか小牧のメンバー、いや、日本人は忘れかけているんじゃないか。タイの高専卒のメンバーがグリグリやってくるような、タイに赴任した高木君のような、あの積極性を。小牧には何か足りないものがあるんじゃないだろうか?」
安心して働けるモノづくりができる環境というのがヨシタケのウリだが、それだけでは満足できない何かを早川工場長から預かってきたように思う。
バンコクを発つ直前、タイしゃぶレストランで早川工場長と最後の晩餐の折に話した内容が、今回のヨシタケのおもろい企業発掘ツアーのメインディッシュになるような気がしてならないんだ。
確かにヨシタケは、自動調圧バルブというインフラに必要な部材を扱っている安定経営の優良企業で、だからそんなにガツガツ働かなくっても十分だし、これからも安泰だろうけど…
でも本当にそれでよいのだろうか?
早川工場長はそこを危惧していたのではないか。
タイの技術者のアグレッシブさを小牧のメンバーにも共有させたい。
そのためにはどうすればよいのか?
「高木君のような若いメンバーをどんどんこのチョンブリの地に連れてきて刺激を与えては小牧に帰す。これを短期スパンでやったらどうなの?」
そんな素人提案をタイからの帰りに浅野っちにぶつけてみた。
タイは近いよ。
だって5時間半のフライトで時差二時間。
朝イチの飛行機に乗って昼前にバンコクに着き、昼から一仕事して夜中の便で帰ってきたら翌朝8時にセントレアだよ。日帰りだってできるんだ。
これはぜひ活用するべきだよ。
そんな感覚で小牧とタイでカラクリマシンを自在に作ることだってできるのがヨシタケ。
それって魅力的じゃない? まったりも、ガッツリもできる会社というのは。
文 山じい
編集・写真 つかっちゃん
株式会社ヨシタケ
http://www.yoshitake.co.jp/recruit/
1944年創立、愛知県名古屋市瑞穂区に本社を置く自動調整バルブのメーカー。1990年にJASDAQへ上場してから30年間連続黒字を記録。バルブは社会的インフラの一部だが競合企業は少ない。1990年頃からタイに生産拠点を持ち、十分な価格競争力と品質を持ったバルブを世界に普及させるために市場を切り開き続けている。「自分の存在意義が感じられる仕事をしよう」という意味を込めた「ダケ感」という標語を掲げ、自分にしかできない仕事で活躍できる人生を提案している。
2020年3月上旬収録の対談をYoutubeにて公開中