人事の人たちと採用の作戦会議をしていると、いつも聞かれることがある。
「先生はどうして大学工学部の教授でありながら、こんなに熱く就職支援をするんですか?」というフレーズだ。
簡単な答えとしてはこうだ。
「助手になった研究室の教授と助教授は性格の合わない人達で、つまり二人はとても仲が悪く、研究室をまとめていくのに力を注がねばならなかった。それが高じて、学科の学生支援をやることになり、その活動が大学の事務方や執行部の知るところとなったことが、就職支援をすることになった直接の要因です。」
これが一応の答えになるんだけど、これにはタイミングもある。
当時はちょうど、山口大学の広中学長が文科省に出した学生支援に関してのレポート(通称、広中レポート)によって、大学に関する文科省の方針が変わる時期だった。
これまでの大学の役割である「大学は学問をする機会を与える場」から、より学生に寄り添った「入学した学生に教育をして成長させ、世の中に送り出す場」に移行したんだ。
その当時、山じいは学内で目立つ存在だったんだな。
2002年(平成14年)に本学学内に立ち上げられた学生相談室が鳴かず飛ばずの状態であったのを、「山下お前テコ入れせよ!!」っと当時の学生生活担当副学長よりお沙汰があった。
その後、2004年(平成16年)に学生なんでも相談室初代室長に就任し、2005年(平成17年)には学習相談室の立ち上げ、そして2007年(平成19年)にはキャリアサポートオフィスの立ち上げとオフィス長就任があり、今に至っている。
山じい