「学生なんでも相談室」と「学習相談室(先輩のいる学習室)」を作り上げ、何とか軌道に乗り始めた2007年(平成19年)初頭、突然当時の学長に呼び出されたのである。
学長 「山下さん、まあ、ここまでようやったわ! でもね、君が今支援している名工大生は、学生生活に困っている、言わば、下位の1割ちょっとだろ? あとの8割の学生の支援はどうするつもりだ!?」
……っておいおい、ここまで一人に押し付けておいて、さらに何をか言わんや!! っと思いつつも、まあ、おっしゃる通りだわな。
そんな流れの中で、当時の文科省が『大学教育の充実〜GPプログラム(Good Practice)』を華々しくぶち上げたもんだから、本学はこれに申請し、採択され、学生支援の柱に、これまでないがしろにされてきた「キャリア支援」を新しく据えることが決まったのである。
そして、学内に「キャリアサポートオフィス」を立ち上げることになり、当時准教授だった山じいに、副オフィス長をやるようにとの命が下った!!
その後、すぐに山じいをオフィス長にするために、准教授から教授への昇進の話が動いた。そう、山じいはキャリアサポートオフィス長を務めるために教授になったんだな。
教授ポストの公募要領は、【高分子化学の研究者で、学生支援とキャリア支援を専門に学内教育に従事できること】。こんな条件に当てはまる大学教員なんぞ、他にいるかいな(笑)。
そんな出来レースで、山じいは2008年(平成20年)の正月に、めでたく「教授」に昇進したんだわ(パチパチパチ)。……ってか、そこからがいばらの道、名古屋工業大学キャリアサポートオフィス長としての苦難の道が始まったのさ。
山じい